紀行

東海自然歩道を歩く(67)
宇治・仏徳山・西笠取・岩間寺・石山寺

 平成30年7月12日 池内淑皓

東海自然歩道の京都方面に雪が来る前までに歩こうと思い、三泊四日の旅を企画した。
今回の旅は古代史あり、歴史的な社寺仏閣があり、歴史好きな私にとっては垂涎のコースだ、また交通の便が良く、区切りの良いスパンで歩けた。
第一日12月18日(月)宇治→仏徳山→炭山→笠取→岩間寺→石山寺→石山寺駅--電車--浜大津駅(泊)
第二日12月19日(火)石山寺駅→幻住庵跡→音羽山→蝉丸神社→三井寺→滋賀里駅--電車--浜大津駅(泊)
第三日12月20日(水)滋賀里駅→崇福寺跡→弁天堂→延暦寺本堂→西塔→横川中堂→仰峠→三千院→大原バス停--バス--京都駅--横浜

 2017年12月18日(月)、前日の17日は終日奈良巻向、箸墓遺跡周辺を散策して、宇治のホテルに宿泊した。
今日は石山寺をゆっくり見学したいので、夜明けとともに宇治橋に向かう。

   東海自然歩道(宇治橋~仏徳山(132m)~志津川集落)概念図

     朝7時少し前の宇治川を宇治橋で渡る

     日の出前の宇治川

宇治上神社で夜が明ける、丁度鳥居に〆縄を取り付けていた。

「宇治上神社本殿」(国宝) 祭神は仁徳天皇とその皇子、この本殿は平安時代後期の築で、現存する我が国最古の神社建築と言う。

    自然歩道は神社の裏側を巡るようにして、じぐざぐに仏徳山に向かう。

     志津川集落に向かう遊歩道、朝散歩する地元の人達数人と出会う。

志津川集落を外れ林道に入ると、砕石を運ぶダンプカーが行き来して危ない。
正面の砕石場は粉塵でモヤっている、ここを歩く環境は劣悪で且つ危険だ、他の道を考えて欲しい。 

          
仏徳山から、1時間半程で炭山(すみやま)の集落に着き、更に笠取まで1時間45分程歩く

炭山の集落、この里は文字通り薪炭の生産地として平安時代から開け、醍醐寺の所領として子院、別院が設けられていた。 今はバスも通らず不便。 

       
自然歩道笠取、清滝宮、岩間寺への道。この道は林道であるが、静かで落ち着いた里山ウオークが楽しめる。

「清滝宮」  岩間寺のゆかりあるお宮なのだろうか、山の中に隠れるようにして在る。

分岐点には自然歩道の道標と共に、「右岩間寺 左称名寺 明和元年(1764)」の道標がある

     昔からの参詣道なのだろう、参道には丁目石が置かれていた

    七丁目で岩間寺の境内に入ってきた。

「岩間山 正法寺」 真言宗のお寺、西国33観音のうち「12番」略して岩間寺。
標高443mの岩間山に在る、奈良時代の養老六年(722)泰澄禅師が千手観音を刻み、本尊としたのが始まり。

岩間寺境内の外れに、「左いし山 江 八丁」の丁目石が出てきた。もちろん石山寺も西国13番札所である。私も今日の最終目標地である、石山寺を目指そう 

     山を下ると滋賀県の案内板が出てきた。

東海自然歩道の道標と、昔の道標が並んで置かれている、石には「いわまみち」の表示。

「石山寺」に到着、15:00大分日が西に傾いてきた、日暮れまで見学しよう。

国指定天然記念物の「硅灰石と多宝塔」 この珍しい石が石山寺の名の起こり
「硅灰石」 珪酸塩鉱物の一種、石灰岩に花崗岩のマグマがぶつかった付近に出来るスカルン鉱物(CaSiO3) 。こんな所に隆起してくるのが珍しい。大正11年指定

「本堂」国宝 天平宝字五年(761)正倉院文書に見える。承暦二年(1078)焼失。
永長元年(1096)再建されたのが現在の建物である。西国43番札所礼堂と相の間は、淀君によって建て替えられた

「源氏の間」 紫式部がここで「源氏物語」を書いたと言われる。
源氏物語54巻のうち「須磨・明石の巻」をここで執筆した。 

「多宝塔」 国宝 建久五年(1194)の建築。下層が方形、上層が円形の平面に宝形の
屋根を載せた二重の塔。数ある多宝塔の中で、均斉のとれた美しい構造として有名

        
日暮れが迫ってきた。琵琶湖の畔を散策しながら、京阪石山寺駅へと向かった。 

          
[参考タイム] 宇治橋(7:00)→宇治上神社(7:10)→仏徳山(7:50)→炭山集落(9:15)→国際射撃(10:40)→清滝宮(12:10-12:15)→岩間寺(13:15-13:25)→石山寺(14:55-15:30)→石山寺駅(15:40) 44,350歩  
                
この項完

東海自然歩道を歩く(68)石山寺駅・幻住庵跡・音羽山・三井寺・滋賀里駅に続く