紀行

東海自然歩道を歩く(69-2)
比叡山・仰峠・大原

 平成30年8月23日 池内淑皓

東海自然歩道を歩く(69-1)の続きを記述したい。
前回は滋賀里駅から歩き始め、崇福寺跡を見て、比叡山ケーブル駅に到着まで、記述した続きです。

東海自然歩道(比叡山横川中堂~仰木峠~三千院~大原バス停)概念図
(この道は比叡山から大原、京都へ向かう千日回峰と元三大師道の道でもある)

ケーブル駅前から根本中堂への道は、凍結しているから注意が必要

「比叡山根本中堂」(848m)国宝 ユネスコ世界文化遺産に選定、本尊:薬師如来
天台宗の総本山。延暦七年(788)最澄法師により創建、根本中堂(国宝)は現在修復中で、全体を鞘堂で覆うのだとの事。(今日現在工事用カバーが掛けられて見えないし、立ち入り禁止)
        
せめて軒端だけでも記念に一枚。
平安時代から続く「不滅の法灯」は有名 織田信長の焼き討ち後、江戸時代に入って徳川家光の命により再建された。
「照干一隅、此即国宝」(一隅を照らす、これ即ち国宝なり)(最澄の言葉)

「戒壇院」(重文) 僧侶が大乗戒(規律)を受ける比叡山中で最も重要な御堂で、天長五年(829)創建、延宝六年(1678)建て替えられた。

西塔への道   

西塔概念図(自然歩道は山王院、浄土院、椿堂,にない堂を通り釈迦堂に向かう

「浄土院」 最澄(伝教大師)の御廟

「浄土院」 沙羅双樹と菩提樹が聳えている。雪の比叡山も風情があって良いものだ
 (バスは12月2日以降春まで運休で、車が入れない)

「釈迦堂」 重文 西塔で最も重要なお堂で、且つ比叡山山内で最古の建物。
信長による叡山焼き討ちのあと、豊臣秀吉は文禄四年(1595)園城寺(三井寺)の弥勒堂(南北朝時代(1349)築)をここに移築させたもの。

仰木峠への道は千日回峰への道でもあるから、路傍の石仏等が多いし、道もきれいだ

元三大師堂道の道標。ここ峰道は横川中堂への道でもあるから、昔から巡拝者の道しるべとなっているのだろう。 
元三大師とは、正月三日に入滅した高僧「良源」の大衆的呼称。比叡山中興の祖と言われる

「玉体杉と蓮台」 回峰行者は必ずここで御所に向かって遥拝し、しばしの休息が与えられる

「玉体杉と蓮台」 回峰行者は必ずここで御所に向かって遥拝し、しばしの休息が与えられる
私も御所に向かって遥拝し、しばしの休息を得る。

遥か亰の町を望む

「仰木峠」(573m) 京大原の里と滋賀仰の里を結ぶ古道、この峠を行き来して物資を運んだ。
千日回峰の道でもあり、元三大師道でもあり、源義経伝説の道でもある。

大原の里が見えてきた。
横川と大原のつながりは深い、往生極楽の里、隠棲の里とも呼ばれている。また「声明」(しょうみょう)の里でもある。 (経文や真言に節をつけて唄う仏教音楽のこと)

正面の道は元三大師道で、東海自然歩道の道でもある。
三千院へは左に折れる。

「三千院」(国宝) もと延暦寺の別院であったが、最雲法親王が入寺し門跡となる。三千院と呼ばれるようになったのは明治以降の事である。庭園が美しい。

「宸殿」 伝教大師作と伝わる薬師瑠璃光如来

「往生極楽院」 阿弥陀三尊像が収まる(国宝) 

夏になれば苔が青々と輝き、西芳寺(苔寺)に劣らぬ風情を醸し出すと云う。

三千院門前茶屋街

日も西に傾いてきた、門前の茶店に寄ってお団子でも食べて、大原のバス停に向かおう。

大原バス停は小さな川沿いに10分下れば着く、一時間に三本、京都駅行きが出ているから大丈夫。

[参考タイム]滋賀里駅(7:00)→崇福寺址(7:40-7:50)→明王堂(10:00)→ケーブル駅
(10:15)→延暦寺(10:20-10:30)→西塔・釈迦堂(11:20)→横川中堂(12:30-12:45)
→仰峠(13:30)→大原の里(14:30)→三千院(14:45-15:20)→大原バス停(15:50)

 この項完

東海自然歩道を歩く(70) 大原・寂光院・江文峠・鞍馬 へ続く