紀行

東海自然歩道を歩く(71)
二ノ瀬・大岩・源光庵・高山寺(栂ノ尾)

 平成30年9月25日 池内淑皓

 2018年3月23日(金)晴れ、暖かく天気も上々。
今日は昨日ゴールした叡山電鉄鞍馬線、二ノ瀬駅を出発、大岩に出て 鴨川に沿って南下する。
上賀茂の集落である玄琢、源光庵に出たら、また山に入って菩提川を下り、中川から栂ノ尾の高山寺に向かう。

東海自然歩道概念図(二ノ瀬駅~夜泣峠~大岩~柊野~玄琢)

叡山電鉄鞍馬線に乗って、出町柳駅から二ノ瀬駅に向かう

二ノ瀬駅には8:45到着、無人駅で私一人だけ下車した。

一旦バスが通る県道に出るとすぐ、東海自然歩道の道標に従って、叡山電鉄の踏切を渡る。

守谷神社を横目に登山道に入ってゆく

ジグザグに東斜面を登行するのであるが、暖帯林特有の常緑広葉樹の大木が多い

「夜泣峠」 説明板に、幼少の惟喬親王が乳母に抱かれて、この峠で一夜を明かしたが、親王が泣き止まず、傍らの地蔵に願を掛けたら、夜泣きが無くなったと伝えている。
(惟喬親王:平安時代後期の皇族、文徳天皇の第一皇子)

峠から30分程で小さな集落の「大岩」に出る。ここからアスファルトの県道京都京北線を歩く

自然歩道は鴨川(加茂川)沿いに歩くようになり、歩道もなく、カーブも多く危険であった。
やっとの事で柊野(高橋集落)に出る

柊野からは、山の端に建つ住宅地の縁を縫うように玄琢、源光院に向かう。 

「源光庵」 曹洞宗 本堂は元禄七年(1694)の建築で、廊下の血天井は、鳥居元忠が自害した伏見城からの遺物で「桃山の血天井」として有名。

東海自然歩道概念図(玄琢~千束~坂尻) 

千束で軽く昼食を採り、坂尻集落に向かう
この道標で、道を曲がらず真っ直ぐ東(後)に向かうと、北山「金閣寺」に至る2、0km。

坂尻の集落を抜けると林道となり、やがて山道に変わる

この部分快適な道ではあるが、看板の注意書きが目に飛び込んで来た

この山一帯は「松茸」の山だそうな。 秋はこの道が通れず、迂回路が指示されている

「北山杉」 松茸山を越えると、一転見事な北山杉の林道に出る。
この美林の発祥は古く1、400年頃と言われ、茶の湯の流行に伴い茶室建築に用い入られ発展した。現在は和室の床柱として利用されている。
(ルーツは平安京への遷都まで遡る、建都のため大量の木材が必要とされ、発展したと云う)

「菩提の滝」 国土地理院地図に載るほどの名瀑と説明に在るが、 

先の大雨によるがけ崩れで道が崩壊し、谷に降りられない。
見学をあきらめて、ひたすら清滝川沿いに下り栂ノ尾に向かう。

「高山寺」史跡  栂ノ尾山高山寺、真言宗のお寺。 本尊:釈迦如来
宝亀五年(774)光仁天皇の勅願により創建された、建永元年(1206)鳥羽上皇の院宣に
より開創する。更に明恵上人が再興し寺名を高山寺と名付けた。
「鳥獣人物戯画」(国宝)が特に有名で、他に茶種の栽培がここから発祥し全国に広まった。
寺域全体が平成六年(1994)世界文化遺産に登録されている。

「鳥獣人物戯画巻(甲巻)」(国宝)  平安時代 紙本墨絵 縦31 横1148  
擬人化された猿、蛙、兎などの水遊び、弓技、田楽、法会等を描く。簡素ながら熟達した墨線でとらえられた適確な形態と、生き生きとした表情には比類がない。
                              (1990年 国宝展 東京国立博物館)

       石水院(国宝)

       「開山堂」明恵上人 

「金堂」(重文) 釈迦如来が祀られている

日は大分西に傾いて来た、今日は高山寺を一区切りとしたい。丁度栂ノ尾発15:39のバスが四条大宮に行くから、車中の人となろう。

         
30,000歩        この項完

[参考タイム] 二ノ瀬駅(8:45)→夜泣峠(9:25)→大岩(10:00)→山幸橋(10:20)→
柊野(10:40-10:45)→玄琢(11:35-11:45)→源光庵(12:10)→坂尻(12:30)→中川(14:05)→高山寺(15:20-15:39)(栂ノ尾バス停)JRバスは1時間に2本ある。

東海自然歩道を歩く(72)栂ノ尾・清滝・嵐山・西芳寺(苔寺)に続く