紀行

東海自然歩道を歩く(72)
栂ノ尾・清滝・嵐山・西芳寺(苔寺)

 平成30年10月13日 池内淑皓

 2018年(H30)3月24日(土)晴れ暑い。京都第三日目は昨日の栂ノ尾から清滝に出て、観光地の嵯峨、嵐山を散策しながら松尾神社に参拝、西芳寺(苔寺)を今回のゴールとして、横浜に帰った。
嵯峨、嵐山周辺は外国人だらけで、日本国としてはありがたいが、観光どころではなかった。

東海自然歩道概念図(栂ノ尾~高雄~神護寺~清滝)

京都四条大宮から周山行きのJRバスに乗れば、50分程で栂ノ尾バス停に着く

バス停から周山街道(R162)を南に15分で高雄集落に到着する、自然歩道は集落から右手に折れ、清滝川畔に向かう。
周山街道は、京から丹波に抜ける主要な街道で、清滝川に沿って高雄、栂ノ尾、槇ノ尾を通り、別名三尾と言われる集落を結ぶ。

周山街道と別れて清滝川畔に出ると、快適な遊歩道が待っていた。

「神護寺」 国宝17点、重文2833点を所蔵する名刹 本尊:木造薬師如来立像

道は清滝川に沿うようにつけられていて、河原ぎりぎりがトレイルとなっている。

川床の縁を通るトレイルもある、この辺りは「錦雲渓」と呼ばれ、特に名勝となっている。
紅葉の季節になると、一段と風情を増すに違いない。

北山杉の美林に出会う。
この辺りも北山杉の主産地で、発祥は古く1,400年頃と云われ、茶の湯の流行に伴い茶室建築に用いられ発展した。現在は主として和室の床柱材として利用される。(東海自然歩道を歩く(71)に詳述)

清滝の観光地に入ると、タイムスリップしたような一角がある、旧道だと言う。
千本格子の旅籠屋もあった。

清滝の小さな集落を過ぎれば、清滝川に沿ってまた遊歩道が付けられている。

この辺りの渓谷は「金鈴渓」とよんでいる。名前の謂れは分からないが、名勝にふさわしい渓谷美が連続している。

沈下橋(水嵩が増すと川の中に沈没する)を渡ると落合に出て、ここで清滝川と分かれて、東海自然歩道は山越えをする(この先更に川を下ると、保津峡となる)

東海自然歩道概念図(清滝~六丁峠~二尊院~嵐山・渡月橋)

自然歩道は落合橋際から清滝川を離れ、六丁峠の山越えをする。

鳥居本、化野(あだしの)に出ると、伝統的構造物群保存地区の町並が忽然と現れた

民芸店、おみやげ屋を冷かしながら歩くと、直角に道が交差し、祇王寺への案内が出てくる(東海自然歩道の道標は左の木柱)

「祇王寺」 法然上人の門弟・良鎮が建てた往生院が尼寺として残った。
平安時代、平清盛の寵愛を失った祇王が母、妹と共に出家して晩年を過ごしたところ

「二尊院」 嵯峨天皇の勅願により建立。釈迦如来と阿弥陀如来の二像を祀る事から二尊院と名付けられた。 紅葉の秋は別格な風情を醸すと云う。

「常寂光寺」 文禄四年(1593)日禎上人が開いた。本殿は伏見城の客殿を移築したと言われる。 

この辺りまでは嵯峨の中で、比較的静寂を保っていた。

自然歩道概念図(落合~化野~嵐山渡月橋~苔寺)

     
嵐山に近づくと、俄然外国人の観光客で一杯、竹林の写真を撮っているのだけれど、人、人、人。日本人はほとんど居なかった。外貨獲得にはありがたいことだけど。

      
「渡月橋」 嵐山を代表する橋。
渡月橋の近くに来ると、観光地特有の熱気が伝わってくる。 
「くまなき月の渡るに似たり」との亀山上皇の言葉から名付けられた。自然歩道はこの橋を渡って松尾大社に向かう

私も記念に一枚。

「松尾大社」 本殿は応永四年(1397)に建てられた松尾造りと云う特殊な造りで、重文指定
祭神:大山昨神と中津島姫命。酒の神として全国の酒造家の寄進が多い

「西芳寺」(苔寺) 暦応二年(1339)夢窓国師が再興したと伝える。
美しい苔に覆われ、参観人数制限があり、見学は事前申請の予約制となっている。

苔寺バス停14:30着、今回のゴールとしよう。21km、29000歩であった。
名所旧跡、社寺仏閣が多く一つ、ひとつ見ていたらきりがない程見所が多かった。
苔寺バス停から歩いて阪急嵐山線の上桂駅に出て、東向日駅からJR向日駅に行き、京都駅から帰った。

           
この項完

[参考タイム] 四条大宮バス停(8:07)→栂ノ尾バス停(8:50)→高雄・神護寺(9:10-
9:25)→清滝(10:25-10:35)→落合橋(11:15-11:45)→二尊院(12:50)→渡月橋
(13:20-13:30)→松尾大社(14:00-14:10)→西芳寺(14:30-15:00)→上桂駅(15:20)

東海自然歩道を歩く(73) 西芳寺・沓掛・金蔵寺・ポンポン山 に続く